今でも追いつけない。

今だから追いつけない。


夏の日、確かに俺はカカシに会った。



逃げ水・蜃気楼




暑い。
あっと言う間に桜が散って、梅雨が終わって、もう夏が来た。陽炎の中の景色を見て、緑が濃くなったのを再確認する。山ばかりのこの景色も、一ヶ月もしない内に慣れてしまった。木ノ葉もこんなだったかな、と感傷に浸ってみれば、虚しさが募るばかりで頭が重くなる。

(修業のことだけ考えろ…)
そう自分に言い聞かせて、歩き続ける。山のふもとの人里へ。今から修業をするわけでは無かったが、[修業]とさえ言っていれば、何もかも忘れられるような、そんな気がした。いや、何もかもと言うよりは…

(木ノ葉のことも、カカシのことも)

忘れたいと思ったことはない。今まで一度だって。唯、忘れられたらどんなに楽かと、そんなことばかり考えてしまう。

(情けねぇ…)

自分に嘲笑し、直後大きな溜め息をつく。

「…はあぁっ」

それでも、頭を振って邪念を払った。顔を上げて歩き続ける。コンクリートの先に、逃げ水が走る。


(カカシ…)

逃げ水。
いくら追い掛けても追いつけないそれは、俺にカカシを思い出させた。

(今、あんたは何してるんだ?)








「暑いね」

そう言ってこちらを向くカカシの額に光る汗を、俺は綺麗だと思いながら随分と長い時間眺めていた。カカシが汗かくなんて、珍しいこともあるもんだ。

「暑くても涼しい顔してるあんたに言われたくねぇな」

今は汗かいてるけどね、と苦笑混じりにそう言ったカカシに少しの疑念を抱きながら、俺はカカシが紡ぎ出そうとしている言葉に耳を傾けた。


「水が…」

「水?」

「水が逃げる、で、逃げ水って言うじゃない?」

「…?蜃気楼の一種のあれか?」

「そうそう」

カカシは時々、変なことを思い出しては俺に教えてくる。大して役に立つ知識でもないのだけれど、そんな気まぐれの話は、何故か俺の頭に、心の片隅に引っ掛かって取れなくなる。
そして俺は、またその内の一つを増やそうとしていた。


「その蜃気楼。逃げ水が…やっぱりあれって、水が逃げてるように見えるよね?」

「あんまり見たことないから何とも言えねぇ…」

「うん、まぁ昔の人には水に見えたんだよ」

「それで?」

「それでね、昔々の夏の暑い日の話。ある若い男が、喉が渇いて死にそうで、だけど近くに水場とかは何もなくて。一人でコンクリートの道を歩いてたんだって」

「うん」

「ところが突然、道の先の方に水溜まりが現れた。男は早く水が飲みたい一心で、その水溜まりに向かって全力疾走したんだよ。でも、その水溜まりは近づくどころか、男が近づくのと一緒に逃げて行くの。男は始め、自分の足がよっぽど動いてないんだと思って、更に必死に走ったんだって。
でも結局、男が追い掛けてたのは蜃気楼で、その男は水に追い付く前に息絶えて死んじゃいましたとさ。おしまい」

カカシは話終えたと同時にニコっと笑って、
「馬鹿な話だよね」

と呟いた。その横顔に普段と違うものを感じて、俺は必要以上に明るく務めたのを覚えている。

「カカシ…笑いながら人が死ぬ話すんなよ」

「ん?でも…」

「確かに馬鹿な話だよな。途中で気付けば死なずに済んだのに」

「本当に。馬鹿な話だよ」

本当に、ともう一度付け加えて、カカシは二度とその話をしなかった。







逃げ水。
あの日の記憶が蘇る。思えば、何故カカシはあの時いつもと違ったのか。何故、あんな話をしたのか。

逃げ続ける水跡をぼんやりと眺めながら、俺も水を追い掛け続けた男と同じなのではないかと、ふとそんなことを思った。
今は届かない場所に居るカカシ。
追い掛けても追い掛けても差は縮まらなくて、俺はいつか息絶えて死ぬんだ。
追い付かないことなんて、もう気付いてるんだよ。それでも追い掛け続ける俺を馬鹿だと、あんたは笑うだろうか。それとも、唯悲しい目をして見守るだけか?




追い掛け続ける俺を、許してください。

命を懸けて走る俺を、許してください。

最後に死んでしまっても、許してください。

貴方を追い掛けること自体に

幸せを感じているのだから。



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